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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [14]




「そ、そうですか」
 ハハハッと笑いながら、それだけを答える。
 そんな美鶴の心内をどこまで理解しているのか、幸田は品良く表情を緩めた。
「私、あのような方って、本当に尊敬致しますの」
 尊敬、ねぇ。
「だって、本当に人生を楽しんでいらっしゃるようで」
「まぁ確かに、楽しんでいるとは思うよ」
 自分が楽しいと思う事を最優先に生きているからね。
「でしょう」
 やっと肯定的な発言をしてくれた美鶴の言葉に幸田は嬉しそうな笑みを浮かべ、そうしてやおら居住まいを正して一息吸った。
「私、ずっと根暗な人間でしたから」
 その声音が、それまでの高揚した雰囲気から一転していたため、美鶴は思わず相手を見つめてしまった。
「ずっと、ジメジメした暗い世界で陰鬱に過ごしておりましたの」
「ジメジメした、陰鬱な世界?」
 幸田は頷く。
「私、ここでのお勤めを頂戴するまで、ストリッパーをしておりましたのよ」
「え?」
 ストリッパー?
 目をパチクリさせて凝視する。
 目の前には、なんとも清楚で品の良い使用人。
 ストリッパー?
 いくら頑張っても想像できない。
 唖然とする美鶴の表情に、幸田(あかね)は眉尻を下げた。
「両親は早くに離婚して、私を引き取ってくれた父は居酒屋で傷害事件を起こして、私は親戚に預けられて、でもどこへ行っても厄介者でした」
 どこの家庭にも居場所は無かった。安らぎを求めて繁華街をウロついた。声を掛けられるのに時間はかからなかった。学生の頃は夜遊びを厳しく咎めていた家の者も、中学を卒業すると同時に放任するようになった。
 いっそのこと、このまま我が家から出て行ってくれればいいのに。そうすれば自然と縁も切れる。
 親戚の者たちは、むしろ彼女の夜遊びを無言で後押ししていたのかもしれない。
「まったく、いつもどこへ行っているのかわからなくって困るわ。定職に就いて落ち着いてくれるとこちらも助かるのだけれど」
 口ではそんな事を言いながら、心の中では家に帰ってこない事をありがたいとすら思っていたのかもしれない。
 やがて茜は、繁華街で知り合った者の家を転々とするようになった。稼ぎ場も住む場所も同じ。夜も眠らない派手やかな世界。その中で少しでも多く稼ごうとするうちに、やがてストリップ劇場の仕事に浸かるようになった。
「人生を楽しもうとは思っていませんでした。人生なんてものよりも、今が楽しければそれで良かった。いつも笑っていたような気はするけれど、なんで笑っていたのか、今思い返しても思い出せません。華やかでしたけれど、とても暗くて虚ろな世界だったと思います」
 劇場の仕事は嫌いではなかった。毎回艶かしい衣装を着て舞台に出る。陰鬱で、みすぼらしくて、犯罪者の娘という後ろめたさ以外は何の取り柄もない自分が、衣装を着ると別人に変身できるような気がした。
 普通の人間が見たら目のやり場に困るような淫らな衣装から、メイド服やら制服姿になる事もあった。高校生活など経験もした事のない自分が、女子高生を気取って制服を着る。まるで本当に女子高生にでもなったかのような錯覚が、茜には楽しかった。大勢の人がそんな自分に興味を示してくれる事も嬉しかったが、なによりも、自分が別人になれるのがなによりも楽しかった。
 そう、茜は、衣装を着るのが楽しかった。舞台の上で一枚ずつ脱がなければならない事など、辛いとも思わなかった。
 そんな茜に声を掛けてきたのが、慎二だった。
 数人の男女を連れ立って劇場に来ていた慎二の目に、茜の姿が止まった。
「俺の家で働いてみない? そうすれば、一日中メイド服を着ていられる」
 劇場の仕事は嫌いではなかったが、内部のネチネチとした人間関係には嫌気がさしていた。迷ったものの、結局は慎二の申し出を受けた。



「きっと慎二様は、見透かしていたのだと思います」
 ポツリと呟くような声。
「え? 見透かす?」
「えぇ、客席から、私の心の内を見透かしていたのだと思います」
 劇場の仕事は嫌いではないが、人間関係には疲れていた。女性多数で嫉妬の渦巻く世界だった。勝ち残るには相手を蹴落とすような行動も辞さない。あらぬ疑いを掛けられたり、イジメもあった。仕事が好きだっただけに、仕事とは関係のない問題で悩むのが辛かった。でも、自分には他にいくアテもない。なにより、転職などといった気力はない。だって自分は虚ろで、錯覚と妄想の中でしか生きられない人間なのだから。
「私はきっと、慎二様に救われたのかもしれません」
 そうして、フッと可愛らしい笑みを向ける。
「慎二様はそういうお方なのだと、私は思っております」
 その瞳になぜだか頬が紅潮し、美鶴は思わず俯く。そんな相手の仕草に瞳を細め、幸田は続けた。
「このお屋敷に来て、初めて陽の光りを見たような気がしました。繁華街のような華々しさはありませんが、なぜだかこちらの方が()()きとしているように感じました」
 そうだ、もっと元気良く、楽しく生きるべきなのではないか。
 だが、そのような経験もなければ周囲にそのような存在も無かった茜にとって、霞流家で自分はどのようにすれば良いのか、わからなかった。







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